satoryのブログ

実母の介護、高齢出産育児、自営業、更年期…日々のいろいろを綴っていきます🎵

義父とのお別れ

一年以上もこちらを更新していなかったとに、自分でも驚きました。

母の状況は、要介護4になったこと以外は大きな変化はないのですが、また少しずつ記録して行きたいです。


今回は義父のことを、忘れないうちに記録しておきたいと思います。とても残念なことがありました。


3/26 午前0時頃だそうです。義父が天国へ旅立ちました。突然のことで、残念ですが誰も最後に寄り添うことが出来ませんでした。

義母が朝9:30ころ自宅トイレの前で倒れているところを発見、救急車を呼んだところで、我が家に連絡がありました。

搬送先未定だそうで、今すぐ駆けつけると言って一旦切電。

車なら15分で着く距離なのに、この日に限って次男である主人はなんと友達と旅行。足もありません。この週末、子どもの行事よりも旅行を優先されたこともあり、なんとも複雑な心境。

小学生のこども2人の食べるもの用意して、お昼からの役員集まりをキャンセル連絡して、、

搬送先を聞くために再度電話すると、救急隊員が到達していて、もう運べない、警察を呼ぶとのこと。もう察しがつきました。お義母さんは明らかに動揺してる様子。私もこどもに悟られないように必死。こどもは留守番させることにしました。

主人とはこの辺りでやっと連絡がとれて、帰路に着く様子、

運転担当なので、動揺しないよう詳細はうやむやにしてました。


タクシーで到着。既に10:30近く。

マンションのエントランスにも警察が。

お部屋に着くとお義父さん、トイレの前で毛布をかけられて横になっています。

訪問看護の担当医が来ていて、お義母さんに聴取しています。


警察官から説明を受けました。

事件性が無いので、主治医が死亡診断書を書けば、このまま警察への引き取りや解剖なく、自宅で過ごせるとのこと。


もちろん私に異論はないので、先生と義母の判断にまかせることに。

先生が死亡診断書を書いています。


義母が方々に電話をしています。

親戚の方が3人かけつけてくれました。

なぜ主人が居ないのか、旅行とは言いづらく言葉を濁しました。


何の役にも立ちませんが、精一杯のお手伝いをさせていただきました。87歳でした。

ご冥福をお祈りします。

74歳のお誕生日

母が11/26で74歳になりました。


ブログ久々なので、やり方忘れて書き始めるまで時間かかりました💦

さて、パーキンソン病歴15年以上、今年になって要介護3になった実母とほぼ1人で介護する実父の記録です。


お誕生日前日に、赤いシクラメン持って実家行きました。

お花大好きだったけど、今回は反応も薄いです。あまり興味なくなったみたい。


デイサービスは行くところなくなったので、父が大変だろうと思い、麻雀の日と仕事の日、大体週二回くらいの訪問ペースになりました。

父は、母の介護に追われ家は散らかり放題。荒れてます。元々、綺麗好きで掃除片付けも得意だった母が動けなくなって、当然といえば当然な状況。

私が時々来て片付くレベルでは無くなった。この寒さで虫発生。冷蔵庫も開けたく無い🥲

私は神経質な方だけど、でも普通に考えても不衛生で放置できない。

ヘルパーさんに定期的に入ってもらうことを勧めましたが、父は「家事手伝ってもらったたころで、何も楽にならない。ごはん作ることは苦じゃ無い」って言って拒否。

散らかり放題のこの状況がおかしいってこと、感覚の違いからか、理解してもらえない。

入れ歯の管理も雑みたいで、私だったらお世話頼みたく無い。


一度ちゃんと片付けたくて、年内の仕事を前半に集中させました。後半は介護になるべく専念できるように。明日も、介護に行きます。


デイお断り3軒目

デイサービスからお断りの連絡がありました。これで3軒目。


現在、ショートステイだけ受け入れ🆗という状況になりました。

費用も高いし、本来なら1日だけ預かってもらえたら事足りるのですが。

ショートステイもいつまで受け入れてもらえるのか心配になります。

ひとまず、私が行ける日はショートお休みして、いけない日はお泊まりすることにしました。

仕事もあり、毎週は無理なので、隔週くらいで様子見します。


新しい病院の漢方薬(暴力行為などを抑える為の処方)も、嫌がってあまり飲まないんだそうです。

母の変わり様に困惑しつつも、毎日をこなすので精一杯。

先が見えない、終わりも無いってところが、疲労感2割り増し😅